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2026.04.29|コメント(-)トラックバック(-)

内田博幸騎手がJRA通算800勝達成!


 9日の中山12Rをフォルテリコルドで制した内田博幸騎手(43)=美浦・フリー=は、JRA通算800勝を達成した。1993年7月の初騎乗(当時は大井所属)以来、6044戦目での記録。これまでの主な勝ち鞍にはNHKマイルカップ(2007年ピンクカメオ)、日本ダービー(2010年エイシンフラッシュ)、有馬記念(2012年ゴールドシップ)などのGI・10勝を含む重賞36勝がある。

 ◆内田博幸騎手「無事に800勝まで来られて素直にうれしいのひと言です。2008年に南関東から移籍し、いい馬にも恵まれ、たくさん勝たせてもらいましたが、これからというときに大きなけがをしてしまいました。でも、あの時のけががあったからこそ今の自分があると思っています。騎手としての折り返し地点を過ぎていると思いますが、まだまだ頑張っていきたいです」

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2014.03.09|コメント(-)トラックバック(-)

可夢偉の決断「フェラーリから『ばか』と言われたがF1に戻りたかった」


 小林可夢偉は、フェラーリでのWECのシートを蹴って、資金を持ち込んでケータハムF1と契約したことを、フェラーリからもその他の人々からも愚かだと言われるが、それでもどうしてもF1に戻りたかったと語った。

 可夢偉はザウバーで3年間F1に参戦し3位表彰台を獲得したものの、2012年末でシートを失い、2013年はフェラーリのセミワークス的チームのAFコルセでWECに参戦した。

 2014年に向けてフェラーリから契約延長のオファーを受けていたにもかかわらず、可夢偉は、F1シートを獲得するための資金を募る「KAMUI SUPPORT」で集まった多額の資金などを持ち込むと共に無償で走るという提案を行い、ケータハムと契約した。

 ドライバーとして安定したキャリアを築けるだろうシートを捨てて、昨年F1で最下位ランキングのケータハムに金を支払って契約したことを、フェラーリを含め他人からは愚かであると言われるが、自分にとってはこの決断しかなかったと、可夢偉は述べている。


「僕にとっては、F1ドライブのチャンスが訪れれば、それは絶対につかむ必要があるんです」と可夢偉は英AUTOSPORT誌のインタビューにおいて語った。

「この決断が何を意味するのか、分かっています。フェラーリを選べば、比較的長くとどまることができ、楽にお金を稼ぐことができます。ドライバーとしてはそれほど苦しい思いをしないで済みますし、(フェラーリにとどまるべき)理由はたくさん見つけることができます」

「でも僕はチャレンジしたいんです。人には『ばかだ』と言われます。僕は今27歳で、今年28歳になります。なのに考え方は子供みたいなんです」


 フェラーリに自分の決断を伝えた時、彼らから愚かだと言われたものの、F1は自分の夢であり、復帰するチャンスを逃したくなかったと、可夢偉は述べた。

 フェラーリにはどのように自分の決断を伝えたのかと聞かれた可夢偉は「『すみません』と言いました」と答えた。

「とにかくその言葉を言うしかなかった。フェラーリの人たちからは『君はばかだよ』と言われました」

「自分でもばかなのは分かっています。でもこうしなければならなかった。とてもいいオファーだったし、もちろんフェラーリでレースをするのは楽しかった。でも僕はF1でレースをしなければならないんです。それが夢なのだし、これはF1に復帰するための最後のチャンスかもしれない。だからこういう決断を下したんです」

[オートスポーツweb 2014年03月09日]

2014.03.09|コメント(-)トラックバック(-)

開幕戦優勝のサタヤ、強さの秘訣は「デブ


昨年、国内ツアー初優勝を果たしたO.サタヤ(タイ)が、2014年の開幕戦「ダイキンオーキッドレディス」で2勝目を果たした。3アンダー6位タイでスタートしたサタヤは、6バーディ1ボギーの「67」で最終日をラウンドし、2位以下に2打差をつける逆転劇だった。

画像満載!「ダイキンオーキッドレディス」フォトギャラリー

「勝因? スコアボードを見なかったことですかね」。初優勝時もホールアウトまで全く自分の順位を確認せずに戦った。「ボードを見て緊張して、何度もスコアを崩してきたので」と、プレースタイルは一貫している。しかし、今回は前回とは少し状況が異なった。

初優勝時はマネージャー兼通訳のエースキャディだったが、今回のキャディは師匠の江連忠氏。序盤から要所でバーディを奪うサタヤに「いいよ! まだまだ、次もバーディ行くよ」と、傍らからハッパをかけ続けた。サタヤ自身も前半の4番、7番と2つのパー5でグリーンの外からバーディを奪い「今日は行けるかも・・・」と内心では考えていたという。

最終18番でバーディを奪えず、一瞬肩を落としたが、スコアカード提出の際に2打差で首位に立っていることを知った。結局、追い上げる選手がスコアを伸ばせずに優勝を手にしたサタヤは「嬉しいです。あのボート欲しかったので(笑)。タイに持って帰って、大好きな釣りにいきます」と、優勝副賞のモーターボート(525万円)を獲得した喜びを全身で表した。

オフには地元のタイでトレーニングと練習を重ね、日本には大会の1週間前に来日したばかり。近年、男子ではキラデク・アフィバーンラトや米国女子ツアーではジュタヌガン姉妹などタイ出身の若い選手が世界で活躍を始めている。

タイ出身選手の強さの秘訣は? そう聞かれ、ふと天を仰いで考えたサタヤは「そうですね、私を含めて共通点は“デブ”ですね(笑)」。微笑みの国が生んだ2014年の国内女子ツアー開幕戦覇者は、爆笑回答で優勝会見を盛り上げていた。(沖縄県南城市/本橋英治)

2014.03.09|コメント(-)トラックバック(-)
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