●飽和する米国市場
米Amazon.comは6月18日(米国時間)、米ワシントン州シアトルで開催したプレスカンファレンスで同社初のスマートフォン「Fire Phone」を発表した。Dynamic Perspectiveや画面の3D表示など、非常にユニークな機能をハイスペックな筐体で実現した一方で、予想されていた「低価格・低料金プランでライバルを圧倒する」といった施策は見せていない。なぜAmazon.comはKindle Fireにあったような「低価格路線」を捨てたのか。iPhone同価格で販売される「Fire Phone」に勝ち目はあるのか。そのあたりのAmazonの戦略を考察してみる。
○米国で飽和しつつあるハイエンドのスマートフォン市場の新星
すでにこれまでも何度も触れてきたが、米国のスマートフォン市場は特にハイエンドの市場で飽和に近付きつつある。すでに携帯普及率は契約数ベースで100%超、普及率では約9割ほどとなっている。
新規顧客獲得が難しくなりつつあるなか、各キャリアは端末販売に奨励金を載せて割引販売するスタイルを改めつつあり、「料金改定による実質値上げ」「シェアプランなどの囲い込み策」といった形で「取れるところから取って利益率改善を行う」方法を模索している。この傾向は奨励金を盛る傾向があるハイエンド端末ほど顕著で、同時に低価格の端末を低料金で利用できるミッドレンジ以下の層をターゲットにしたサービスを「MVNO」や「別ブランド」で展開するなど、裾野を広げる戦略も採っている。
●スマホ販売における米国のキャリアの本音
こうしたハイエンド端末の代表格はAppleの「iPhone」だ。例えば最新機種の「iPhone 5s」の16GB版は大手キャリアとの2年契約で「199ドル」で購入可能だが、これを「アンロック版/SIMフリー版」などの名称で呼ばれるキャリアとの契約なしで購入すると「649ドル」となる。
実際の卸値はもう少し安い設定のようだが、おおまかにいうと649から199を差し引いた「450ドル」が携帯キャリアの出す販売奨励金であり(英語では「Subsidized」などの表現が使われる)、2年契約を条件にこの分をユーザーの代わりに携帯キャリアが端末メーカー(この場合はApple)に対して支払っているというわけだ。
こうした負担は新規ユーザーや端末を乗り換えたユーザーが増えるほどキャリアの負担となり、最終的に利益を圧迫する。ゆえにキャリアがことあるごとに「この手法を見直したい」と発言しているのはこうした理由による。「これ以上割引販売を行ってもキャリア同士で顧客の引き抜きになるだけで狭いパイを食い合うことになり、誰のメリットにもならない」という認識だ。
実際、こうした「多額の奨励金を積み増して顧客を獲得する」スタイルを採用するハイエンド端末で生き残っているのはiPhoneと、その対抗馬となるGalaxy Sシリーズなどごくわずかで、それ以外の端末は在庫整理のために時を置かずして販売価格の値崩れが始まってしまう。こうした厳しい世界に登場した久々の新星が今回のAmazon.comの「Fire Phone」というわけだ。
●同じ土俵で勝負することを選んだAmazon
詳細なスペックや概要は速報ニュースを参照してほしいが、スペック表だけを見ればライバルと比べてもまったく遜色のないハイエンド端末だ。しかもDynamic Perspectiveのような新しいユーザーインターフェイスに加え、Fireflyのように簡単にデータベースや関連サービスの情報にたどりつけるユニークな機能を備える。
32GB版の本体価格はAT&Tとの2年契約で「199ドル」だが、契約なしバージョンの価格は「649ドル」と、ストレージ容量こそ異なるものの「iPhoneとまったく一緒の価格設定」だ。しかもキャリアとの契約プランは通常のAT&Tのものとなっており、割引特典などはない。Kindle Fireで見せたような「本体をとにかく低価格で販売して、利益はそこで利用できるコンテンツ販売で稼ぐ」という方策とは真逆となっている。つまり「ハイエンド端末でiPhoneらライバルとまったく同じ土俵で勝負する」道をAmazon.comは選択したわけだ。
○Amazon.comが端末の低価格販売路線を捨てたわけ
過去のAmazon.comをみれば、オリジナルKindleがそうであったように「端末をなるべく安く、ネットワーク通信量は無料で、電子書籍の販売で稼ぐ」という「コンテンツ販売」が利益の源泉だった。「利幅を削っても売上増と市場拡大を優先する」というAmazon.comのビジネススタイルは、かつてパラノイアといわれたMicrosoftやIntelにも通ずるものがあり、将来的に驚異的な企業に成長する予感を内包させている。
オリジナルのKindleでは電子書籍の配信にかかる通信量をAmazon.com自身が負担していたから無料化が実現できたわけで、あくまでユーザーには徹底的にコンテンツ消費に集中してほしいというユーザー体験を重視したスタイルを採っている。Kindle Fireではさすがに通信料無料という"特典"はなくなったものの、本体価格はタブレットの競合製品であるiPadに比べれば破格の設定で、「安さとユーザー体験を武器にライバルを圧倒」というスタンスはそのままだと考える。
だが今回の「Fire Phone」の販売スタイルは、「Kindle Fireが失敗だった」ことをAmazon.comが認めた結果だったと筆者は推測している。
●お金にならない裾野の拡大
同製品の正式発表前、Amazon.comがスマートフォン向けサービスを提供する際にAT&TのSponsored Dataと呼ばれる仕組みを使って「特定のコンテンツ配信にスポンサーをつけることでユーザーが無料で携帯通信が行えるサービス」を検討しているという噂があった。
蓋を開けてみればAT&T独占販売という話以外は実現しなかったわけで、さまざまな理由が考えられるものの、少なくとも「通信料金の値引きでユーザーをコンテンツ消費に集中させる」という方法は選択されなかった。「端末を割引販売してユーザーの裾野を広げてもその多くはコンテンツ消費にお金を使わず、積極的なコンテンツ消費を行うユーザー層は限られている」ということを身をもってAmazon.comが理解した……というのが筆者の予想だ。
コンテンツ消費にお金を積極投入する、いわゆる「プレミアム」なユーザーというのは「ハイエンド端末」を購入するような層であり、ミッドレンジ以下の層に端末を積極的にばら撒いてもその利益上昇効果は薄い。「なら、どうすればハイエンド層により使ってもらえるような端末ができるのか?」と考えた結果がFire Phoneではないだろうか。
こうした層は端末の値段設定はさほど気にせず、「使いたい端末」であればお金にそれほど糸目をつけない。値段の基準はすでにiPhoneが作っており、これを上限に設定すれば投入可能なスペックの上限はだいたい見えてくる。
あとは差別化のための機能やユーザー体験の付与だ。Amazon.comが3D表示とハンドジェスチャーで操作可能なスマートフォンを開発しているという噂は1~2年ほど前から聞こえていたが、開発期間の多くはこのバランス調整に費やしていたのではないかと推察する。
●プレミアムユーザーが使用するスマホ
実際、「積極的にお金を落とす」「先進的なことに興味がある」というプレミアムユーザーが特にiPhoneに集中しているという話は随所で聞こえてくる。著名なところはApp Storeの有料アプリやIn-App Purchaseでのコンテンツへの有料課金だが、筆者が聞いている面白い事例が「航空会社のマイレージ上級会員」の話だ。
先日、モナコのWIMAやロンドンのNFCP GlobalといったNFC関連の国際会議で航空業界の関係者と話した際、「スカンジナビア航空とルフトハンザ航空のマイレージ会員が使うモバイルアプリの8割がiOS版」だというデータを聞いた。モバイルアプリで航空便の電子チケットを利用するようなユーザーはたいていマイレージ上級会員なわけで、iPhone普及率が2割前後というシェアの低い欧州での8割という数字は驚異的だ。
スカンジナビア航空(SAS)の担当者であるLena Erneling Albers氏によれば、もともとはNFCを使った空港でのチェックインシステムを積極推進していたものの、iPhoneユーザーの多さから非NFCとPassbook対応を無視できず、こうしたユーザーのためのNFCステッカー配布を行ったという。NFCステッカーには会員個々のマイレージ番号が記録されており、タッチでゲートを通過できるようになっている。積極的に飛行機に乗る層をプレミアムユーザーだとすれば、そうした層はiPhoneに集中していることがわかる好例だ。
●露骨な「Amazon Prime」への誘導
○顧客のPrime誘導の意図を隠さない
今回のもう1つのポイントとして、「Amazon Prime」へのユーザー誘導がやや露骨に見えている点が挙げられる。例えば199ドルで端末を購入する場合の条件はAT&Tとの2年契約となるが、このときに付与される「Amazon Prime」の利用権は1年間であり、端末で利用できるコンテンツ配信サービスを存分に享受するにはPrimeの追加契約が必須となる。
Amazon.com的には「端末購入で1年間99ドルのPrime契約が付いてくるのだからお得」としているが、結果的にユーザーはPrimeサービスを利用するためにAT&Tの通信料とは別にAmazon.comへの支払いも行わなければいけない。既存のPrimeユーザーであれば別として、実質的にAmazon.comのサービスを利用するための追加料金を支払っているようなものだ。
以前にも「Amazonインスタント・ビデオ」の日本上陸で紹介したように、日本でいうところのAmazon Primeと米国のAmazon Primeの位置付けは異なる。日本では単なる配送優遇サービスだが、米国ではそれに加えてPrimeユーザー向けの"無料"コンテンツがいくつもラインナップされており、これをオンラインストリーミングで楽しむのがPrimeのメリットとなっている。現在、PrimeはAmazon.comの貴重な収入源となっており、顧客をなるべくPrimeに誘導する施策を採ることが戦略上の重要なポイントとなっている。サービス拡販のための専用デバイス販売など、こうした露骨なPrime誘導がみられるのも、Amazon.comの現在のビジネス戦略が垣間見られて興味深い。
●販売時期はiPhoneを意識?
○販売開始時期にもAmazon.comの巧妙な意図が
もう1つ気になったのが端末の販売開始時期だ。今回7月25日より米国での販売が開始されるが、以前のKindleがそうであるように、同社はホリデーシーズン商戦よりやや早いタイミングの9~10月ごろを狙って端末を投入することが多かった。だが今回、それより2~3カ月ほど前、より具体的にはちょうど四半期分前倒ししてきたわけだ。 これは筆者の邪推だが、今回直接のライバルとなる「iPhone新製品」との競合を避けたかったというのが狙いではないかと考える。現在のiPhoneは9月に新製品が発表され、9~10月にかけて世界の各市場で販売がスタートする。
そのため、米国を含む世界でのiPhone販売台数が10~12月期の第4四半期が最も高くなり(Appleの会計年度では"第1四半期")、その後四半期ごとに販売台数が減少していった後、第4四半期で再び販売台数が大きく伸びるサイクルを繰り返している。
つまり従来のホリデーシーズン商戦を狙った第4四半期にFire Phoneを投入すると、完全にiPhoneに販売機会を食われてしまう危険性がある。一方で4~6月期の第2四半期にはもう1つのライバルであるSamsungのGalaxy Sシリーズの最新機種が投入されているわけで、7月25日をコアとする"第3四半期"というシーズンはどのライバルとも食い合わず、さらに「(新製品発表を前に) iPhoneが一番売れなくなる時期」を狙えるメリットがある。
携帯キャリア的にも穴となる時期に話題の新商材がラインナップされるわけで、渡りに船という感じだったのかもしれない。今回、AT&Tでの独占販売にあたってAmazon.comと同社でどのような条件が交わされたのかは不明だが、少なくとも次期iPhoneが販売開始される時期まではこの独占契約が続くとみている。
●iPhoneとの勝負の行方
○Fire Phoneは成功するか
非常に興味深い端末ではあるものの、筆者の個人的感覚でいえば「ビジネス的には非常に厳しいのではないか」というのが率直な感想だ。個人的に動画や音楽などあまりコンテンツを消費しない人間というのもあるが、仮にiPhone新製品とFire Phoneを目の前に並べられて同じ購入条件を提示されれば、「少なくとも今後2年間は使っていける」という意味で間違いなくiPhoneを選ぶだろう。そういう安心感がいまのiPhoneにはあり、Amazon.comはすでにスタートラインで不利な立場にある。
Fire PhoneがAmazon.comの世界にどっぷりで、ある意味でiPhoneより閉じたプラットフォームであるという心配もある。おそらくはKindle Fireと同じくAndroid OSをカスタマイズしたシステムを用いていると思われるFire Phoneだが、アプリストアもAmazon.comが運営する独自のものを利用することになる。コンテンツも当然Amazon.comからの供給を受けるわけで、その意味の自由度はAndroidよりも少ない。すでにPrimeを含めヘビーユーザーを抱えるAmazon.comだが、既存ユーザーと新規ユーザー、どれだけFire Phoneの世界へと顧客を誘導できるか今年後半の動向が楽しみではある。
なお今回のFire Phone発表で気になるのはKindle Fireの行方だ。すでにPrimeユーザー向けの割引販売サービスなどを行っている同端末だが、端末の高機能化により少しずつ値段を上げる傾向がみてとれる。
一方で低価格タブレット「Nexus 7」で話題をさらったGoogleも低価格路線を捨て、少し高機能化した8インチタブレットを市場投入するという噂がある。理由はAmazon.comと同じ「端末を低価格販売してもコンテンツ購入の裾野は広がらなかった」という点にあると考えられ、Kindle Fireとともに値上がり傾向に転じる可能性がある。今年後半は、これら低価格端末の動向にも注目かもしれない。
(Junya Suzuki)