
スーパーGT500クラスに、今季ニッサンGT-RニスモGT500で参戦するTEAM IMPULは10日、2014年のマシンカラーリングを発表した。今季も伝統のカルソニックブルーを纏い、安田裕信/ジョアオ-パオロ・デ・オリベイラのコンビで王座を狙う。
TEAM IMPULは、1994年のJGTC全日本GT選手権初年度から参戦。94年、95年と影山正彦のドライブでチャンピオンを獲得した実績をもつ。そんなTEAM IMPULを率いる闘将星野一義監督と、チームをサポートし続けるカルソニックカンセイの繋がりは深く、『日本ラヂエーター』時代の1982年までその歴史はさかのぼる。
今季、スーパーGT500クラスでは車両規定が大幅に変更され、TEAM IMPULはニッサンGT-RニスモGT500でシリーズに臨むことになる。ドライバーも安田が加入し変更されたが、伝統のカルソニックブルーは今年も健在。すでに合同テストでもブルーのカラーリングで走行を開始しているが、10日、正式なカラーリングパターンがお披露目された。
昨シーズンからカラーリング自体は大きくは変化してはいないものの、フロントにインパルのエンブレムがついたりと細かい変化も。また、フロント開口部のレッドのハの字状のラインは、市販のGT-Rニスモにも入っているもので、今季のGT500クラスのニッサンGT-R全車に入ることになる。
「今年は絶対にチャンピオン」と星野監督も気合が入る。伝統のカルソニックブルーを纏い、狙うは開幕ダッシュだ。
[オートスポーツweb 2014年03月10日]
フロリダ州のトランプナショナルドラールで開催された「WGCキャデラック選手権」最終日。4オーバーの21位タイから出た松山英樹は3バーディ、1ボギー、2ダブルボギーの「74」で回り、通算6オーバーの34位タイで4日間の戦いを終えた。
米国男子ツアーのフォトギャラリー
多くの試合で日曜日に強さを発揮してきた姿は、影を潜めた。晴天に恵まれ、ビッグスコアも期待されたコンディションで、松山は前半から苦しんだ。3番で4メートル強のパットを外してボギーを叩くと、その後はなかなかチャンスを作れない。「今はスイングを色々と試している状況。昨日まで良い感覚で打てていたものが打てなくなった」
7番で右ラフからの2打目をグリーン左奥に大きく外し、続くアプローチはバックスイングを十分に取れないほど後方の木が近く、手前のラフへ。4打目のロブショットでもグリーンに乗らず、ダブルボギーを叩いた。さらに9番(パー3)ではティショットを右の池に打ち込み、2つ目のダボ。10番までにフェアウェイバンカーに入れたのが1回、グリーンサイドのガードバンカーに入れたのが5回と、本調子には程遠かった。
しかし転んでもただでは起きない。右手前からチップインさせた11番から2連続バーディ。15番(パー3)では第1打をピンそば2メートルにつけて3つ目を奪った。気分は「後半になって少し良くなって来たんで、もうハーフくらい行きたかった」くらい。
ただし、このサンデーバックナインも10番で4.5メートル、13番で2メートル、14番で3メートルなどバーディチャンスをことごとく外したこともあり、「4日間で10打くらい損をしている」とグリーン上の戦いを悔いた。「練習をショットとアプローチに重点を置いていたので、しかたないところもある。ショット、アプローチが良くなって来れば、パットにも比重を置けると思う」と今後に向けた練習のビジョンを描いた。
近日中に一時帰国し、次戦は4月のメジャー初戦「マスターズ」となる。1月から約2ヶ月間の米国滞在を「毎日、日本食ばかり食べていたので、あまりアメリカに来ている感じはなかったけれど(笑)。こっちのツアーでやる中で、ベスト10が1回しかなかったので、もっと練習していかなとダメだと思った」と振り返った。迎える4週間のオープンウィーク。疲弊した心身を整え、夢舞台に備える。(フロリダ州ドラール/桂川洋一)
漫才ブームに沸いた80年代初め、若手芸人が次々と現れてはバラエティー番組をにぎわせた。そうした中、特異な芸風で人気だったのが九十九一(つくもはじめ)さん(61)だ。“シュールな笑い”と呼ばれ、アナーキーなセンスでたけしやタモリをしばしば食った。最近はサッパリ姿を見ない。今どうしているのか。
「ボクがいる事務所に若手育成を目的としたワークショップがあって、きょうはその日なんですわ。対象は事務所に所属する役者や声優、それとアナウンサーを目指してる若い人たちで、それらの仕事に不可欠な想像力や発想力を養ってもらおうってわけでして」
渋谷区代々木にある国立オリンピック記念青少年センターの喫茶店で会った九十九さん、まずはこういった。
“九十九教室”はセンター内のカルチャー棟で毎月1回開かれ、生徒は13人。「評判はけっこういいようですな」とは照れくさそうな本人の弁だ。
■昨年は舞台や映画に出演
「自分の仕事としては去年12月15日、16年ぶりのピンライブをお台場でやり、12月26日から28日にかけ、銀座みゆき館劇場であった『OH!MyGod!』ってコメディーショーに出演しました。あと、映画が2本ありましたな。1本は公開済みの『凶悪』でワルの手先役。もう1本はこれから公開の『残波~ZAMPA~』っちゅう映画で、こっちは政府の密使役でしたわ。今年? 予定はまだな~んも入ってません。そんなんで今は“主夫”してます」
九十九さんはバツイチ。声優の住友優子さんと再婚し、10歳になる男の子がいる。
「ご覧の通りの白い頭でしょ。授業参観でオジイちゃんに間違えられます、ハハハ」
さて、大阪市出身の九十九さんは24歳で芸人デビュー。漫談で舞台に立ち、DJでも活躍していたが、27歳のときに上京。81年、若手芸人が覇を競う「お笑いスター誕生!!」に出場し、“シュールな笑い”と評された話芸でグランプリを獲得した。
「漫談でもなくコントでもなく、芝居仕立てのショートストーリーで笑いを取るんですわ。それがどこまで東京で通用するかを腕試ししたところ、あれよあれよという間に10週勝ち抜き。それをきっかけに声がかかるまま、当時のバラエティーにほとんど出たんとちゃうかな」
■当時のバラエティー“総ナメ”後…
しかし、超売れっ子だった九十九さんはやがてバラエティー番組から姿を消した。
「バラエティーに芸は必要なかったんですな。慣れるに従ってそれに気づき、やがては違和感を持つようになり、ついにこれはアカンとなった。最後のバラエティーは『今夜は最高!』。あんまりアホらしゅうて途中降板し、バラエティーから完全撤退しました」
九十九さんは12年ほど前も、「プロデューサーが使いやすいタレントを使いまくって、低級なギャグで笑いを強制してる」とバラエティー番組をぶった斬っていた。よほど腹に据えかねたのだろう。
さて、その後は映画やドラマに出演する一方、笑いの舞台を数多く手がけていた。観客参加型の「ミステリーナイト」なる謎解きイベントを20年余続け、また「九十九夜一夜物語」を8年、さらに4年前にスタートした舞台「つくもっちんぐ」も半年に1回のペースで続けている。すべて九十九さんが脚本を書き、演出、出演もという趣向だ。
「そろそろ次回の『つくもっちんぐ』を、って思ってるんやけど、やるからには前回をしのぐネタじゃなければならん。これがけっこうキツいんですわ。もうしばらく“主夫”が続くんかなあ」