
「役者は虚業に生きる人間で、観客に元気を与える以外、役には立たない。身に余る光栄です」。瞳の力強さはそのまま、顔をほころばせて喜びを語った。
「日本映画の父」と呼ばれる映画監督の牧野省三を祖父に持ち、芸能一家で育った。新聞記者を志していたが、兄の長門裕之の勧めもあり、昭和31年の映画「狂った果実」で俳優として本格的にデビューした。
だがその後はヒット作に恵まれず、苦労が続いた。40代で伊丹十三監督と出会ったことで、「ちゃらんぽらんだった」という仕事への姿勢が変わったという。「せりふを臓腑(ぞうふ)にたたき込むような覚え方をしないといけないと教わった」と語り、「マルサの女」をはじめ何度もタッグを組んだ名監督に感謝をにじませる。
マキノ雅彦の名で映画監督としても活躍。東日本大震災を題材にした作品や時代劇など、温めている企画は多い。
「受章はもっと頑張れという励まし。日本文化を世界に伝えるために、余生をささげたい」